法的保護とLGBT
世間で某議員がLGBTは生産性がないから税金は投入しないとかなんとか言ってバッシングされているらしい。随分前から僕もこの問題には興味があったのだけれど、なかなか自分の中で意見がまとまらず、うーんうーんしているうちに今まで来て、時は満ちたと言うことで、扱おうと思います。
さて、僕がこの問題を扱う際に一番感じるのは
「LGBTの恋愛面と法律的な面を日本は混ぜて議論してしまっているということ」
です。
恋愛の意味で言えば男が男を好きになろうが逆やろうが、なんでもかまへんやろというのが僕の見解。宗教色の薄い日本であればほとんどの人がそうかと思う。
実際、江戸時代にも葉隠なる激アツな文化はありましたし、そういうのが一種の嗜みとして存在していたし…。
ではそれを法的に認めるかというと、ちょっと待て、となる。そもそも男は女を好きになり女は男を好きになる、これが人類史上一貫してマジョリティだったわけやけれど、その他のパターンを法的に認めるというのはどういうことなんや、ええんか。
ええやろという人に聞きたいのが、ロリコンやショタコン、その他の様々な性も認めないのかということ。極論を言うてしまうとLGBTが許されるのに、ロリショタネクロフィリアを始めとする多様な性を認めないのはおかしい。
こういう話をするとそれらは犯罪であるという意見が出てくるけども、いやいや元々LGBTだって犯罪として扱われてきたし、精神病だと言われてきたし、時代の流れの中で認められたに過ぎない。どこが違うのかという区別、どうやってつけるのやろか。どのような理由で持ってLGBTとそれ以外を区別しても、その理論はマジョリティとLGBTを区別した理論にも当てはまるわけでそれは差別に収斂してしまうんじゃないだろうか。要は線引きが難しくってポンってやろうにもできないのが現実であること。
こういう多様な性もいずれ社会が認めるのかな、そんな社会は住みよいのだろうか、現代に生きる我々はもう一度その恋愛と法律の面を分けて考えていく必要があるんじゃないやろか、と常々思う。かわいそうだからではなく、我々が法律の中で生きている以上感情とそれ以外の区別は絶対に必要。
そして生産性の話。
これは難しくて、アメリカをLGBTの法的保護の議論が席巻した時は結婚制度とはなんぞというところまで遡ったらしい(興味がある方は英米法を勉強しよう〜)。
アメリカでLGBTを認めようというムーブメントは、どちらかが亡くなった時、親権の関係上子供と会わせてもらえなかったり、財産が全て無くなったり、同じお墓に入れないなど、LGBTが精神病だと思われてきたこともあって相手の家族から恨まれたりなど色々な不合理な過去があるから。それと彼らのリベラルな考え方と法を自分たちの力で変えていこうという法治主義の極致的な考え方があるのかと思う。法律はお上がくれるものではなく自ら作る、と。まさにジャイアンだけれどもこの意識は大事やなぁ。
話を戻すと生産性云々でLGBTを認める、認めないという話はあったとしてもその起源においては関係ない。好きになった人が偶々同性やったとかそういうのだけで普通の人が享受できるような幸せを享受できへんのはおかしい、原点はそこなんや。
では結婚制度は何のためにあるのやろか?
僕は社会を維持するために必要な人口を確保するための政策として結婚制度を捉えています。だって愛し合う二人を法的に拘束する必要はないでしょ?好きなら一緒にいるはずやん。しかも誰が誰を愛そうと政府は関与できいないし、すべきでもない。ではなんで結婚制度なんてややこしいもの作ったかというと、勿論風紀の乱れとかそういうのもあるけれど突き詰めていけば社会を維持する上で必要な人口確保、これに尽きると思う。
だからマジョリティが享受している結婚制度を丸ごとLGBTに認めてしまうことにはあまり賛成できない。ただ勿論一緒に住むとか養子とかそういうのに対応できる準結婚制度はありだし進めていくべきだと思う。
某議員の発言は不用意やと思うけれど、実際男あるいは女同士で子供が作れないのは事実やし、生産性がないというのも人口確保の観点からするとあながち間違えではない。この発言を問題視する人は大きな政府が好きなのでしょう。政府を批判しながら政府に圧倒的期待をするのにはいつも疑問を持ってしまう。
ただ、だからと言って社会に貢献できないわけでは勿論ない、これは誰にでもそう。世の中にはたくさんの人がいるわけなので、こういう人だから社会に必要ないは絶対にない。
某議員も社会に必要ないとは言っていないのでは、ただ税金の優先度が低いと。
うまいことまとめられへんくて申し訳ないのですが、今日はここで。皆さんの様々な意見を聞かせてもらって勉強できればと思います。
なおこれは圧倒的に私見なのでそれを踏まえて意見交換等ができればと思います。
ほっとけや!東京オリンピックボランティア編
東京オリンピックのボランティア〜。
2020年は待ちに待った東京オリンピックですね。こんなクッソ暑い中、スポーツを行う選手には本当に脱帽、どうかケガなく病気なく終えてほしいと思います。
さて、僕のTwitterに最近やたら東京オリンピックのボランティアの話が流れてきて、イライラがピークに達した(?)ので今回の話題はこちらに決定。
まず東京オリンピックのボランティアについて言わせてもらうと…
ええやん!ほっとけや!
です。
ボランティアで集まるわけがない〜
こんな酷暑でただ働きは〜
電通は大金をもらっているのに〜
うるせえええええええええええええええええ!!!
どうせこういう風に騒いでいる連中はボランティアには絶対参加しない関係のない人々で、いざオリンピックが始まればにわかになって騒ぎまくるか、興味ねぇしィとか言いつつ毎日メダルの数を数えているようなのばっかです(偏見)。
学生の立場から言わしてもらいますと、ボランティア活動って社会貢献よりも思い出作りの面が強いと思うのですよね。つまり同じような志を持っている仲間と意見交換をして有意義な時間過ごせた!最高の仲間だ!っていうのが目的なんですよ。
その純粋な経験への喜びに、お金が挟まってきたらね、そういう志を持つ人間以外もきてしまって本来あるべきだった相互の意見交換とかできなくなるんじゃないかと。お金はいらないから自分はこういうことをしてみたい、と思う人々の集まりにお金絡めたら興ざめするだろうし、それは仕事になってしまいますから就活の時に使うネタにすらならない。
東京オリンピックのバイトしてました!
というのと
東京オリンピックのボランティアしていました!
だと印象が違うと思う。前者言われても知らんがなってなるし、バイトくらいみんなもしているし…
すると今度はボランティアをわかっていない星人が湧いてくるわけです。
ボランティアは本来そんなんじゃなくて〜
東京オリンピックのボランティアはおかしい〜
うるせええええええええ!!!
ボランティア活動に定義あるの?放っておけばいいじゃん!
そもそも定義の問題で解決しないのになんでそんな騒ぐねん、ほっとけよ!
もうほっといてやれよ、若者だってボランティア活動を利用するんだし別に何もわからず応募するわけちゃうねん!こういう一見若者のためを思っている意見って全部若者をバカにしていると思うんですよね、いつまでも上からで萎えるわ。
そもそもそんな若者気遣っているんだったら年金なんとかしろよ!あれこそこっそり金とってろくに帰ってこないんだからボランティアよりたち悪いやないか(錯乱)!
とりあえず若者がやろうとしてることに水を差すな!というわけです。
東京オリンピックボランティア活動叩いているやつはみんな老害に片足突っ込んでいる自覚を持ってください。
勿論、そもそもスタッフの集め方として間違っているとかいうのは妥当な意見だと思います。
ただね、ボランティアに参加したい若者もいるしそういう人々に配慮せず、ストレスのはけ口に正義感に酔うために若者のためを思った発言をする方はどうぞ年金をなんとかして下さい。
そしてボランティア動員するために学校の時間を云々言い出した文科省、僕らは勉強するために大学におることを肝に銘じて毎日唱えて下さい、学生の勉強の邪魔をするな。